藤原の桜

人間国宝で染織家の志村ふくみさんの番組が、NHKで放送されていた。番組内では特にふれられていなかったが、昭和57年に藤原の中学生が志村さんに手紙を書き、交流が始まり、一緒に山桜で染色をおこなったそうです。今でも学校には、その時に染めた着物が保存されています。誰もしりませんが、大変貴重なものです。なんとか再び藤原の地を訪れて頂きたいです!以下「語りかける花」~藤原の桜~より

昨年5月、群馬県水上の藤原中学校の女の先生から一通の手紙をもらった。
中学2年生の国語の教科書に大岡信さんの「言葉の力」という文章がのっている。その中で大岡さんは言葉というものの本質が、口先や語彙だけのものではなくて、それを発する人間全体の世界を否応なしにせおってしまうものだといわれ、それをよりわかりやすく説明するために、「桜の花の咲く前に皮をはいで染めたら、上気したような美しい桜色に染まった。それは桜の花瓣だけ…が桜色なのではなくて、花の咲く前の桜は幹も枝も全体で色を貯えているからだ」という私の話を引用して、言葉の問題もそれと同じではないかと語っていられる。それを読んだ中学生が大変興味をもって、藤原には山桜が沢山あるから自分達でぜひ染めてみたい、染め方を教えてください、という手紙をよこしたのである。
冬は積雪数メートルに及ぶという山の中の中学で全校生徒36名という。そんな山の中の中学が目に浮かぶと私は早速、手紙をかき、染め方と、桜で染めた糸を送った。
やがて2年生全員12名から手紙が来た。どの手紙も、「はじめまして、こんにちは」という書出しで、丁寧に手紙の礼をのべ、なかには「ふくみさん」と呼びかけてくれるのもある。桜で色が染まるなんてふしぎでたまりません。みんなで山へ桜をきりに行き、男子は木を燃やして灰をつくり、女子は皮をむいて染めてみました。藤原は湖や沢や谷や素晴らしい自然にとりかこまれていて、もうすぐ水芭蕉が咲き、わらびやぜんまいも出ます。是非一ど来て下さい。首を長くして待っています」等々、私はこんなうれしい手紙をもらったことがない。生徒達もはじめて書いたのだろう、緊張のあまり、はじめから「さて、お話は変わりますが」とかいたり、「お誕生日をおしえて下さい。プレゼントを送ります。」というのまである。
さて、この3月、思いがけず群馬県立美術館で私の展覧会を開いて下さることになった。当初、まだまだ修行中の身でおこがましいことであるし、見知らぬ土地の群馬県で私の最初の回顧展が開かれることに幾分躊躇していたのだが、ふと藤原中学のことを思い出すや、私は急に活気づいて、この機会に是非藤原中学を訪れたいと手紙を出した。そして2年生全員を美術館にご招待したいと書き添えた。最初に手紙を下さった高野朝子先生から早速返事が来て、生徒達はその日を指折りかぞえて待っています、ということだった。
3月1日美術館の初日、オープニングパーティーの終わったあと、私と仕事場の若い人達は、長靴を用意して藤原へ向かった。その日は猛吹雪で車がとおれるかと館の方々は心配して下さったが、私はかつて経験したことのない清々しい気持ちで水上の駅に下りた。少し小止みになってはいたが、深い雪におおわれた暗い渓谷や湖を迂回しつつ、車は山路深く登っていった。行きどまりの谷間には、この村に一軒しかないという温泉宿があった。
その夜私達はつり橋をわたって、雪の舞う中を渓谷の露天風呂に入った。氷柱の下る岩影に、そこだけ頭上から湯気のたつ湯泉が滝のように流れ落ちてきて、湯壷はみぞぎのように清冽であった。つい先頃までは、かもしか、貂(てん)などいたといい、今でも熊や狸、狐はしょっ中出てくる由、宿では毎朝熊を温泉に入れているという。
翌朝、校長先生の御迎えで私達はまず山に木をきりに出かけた。区長さんはカラマツ林の中に槐(えんじゅ)をみつけるや、するすると木にのぼり、斧でパンパンと幹をきり落とす手さばきは見事なもので、雪の中に黄色の粉がパッと散る。「こりゃ染まりますよ」と校長先生も興奮ぎみである。桜、みず楢、みずぶさ、もみじなど、数種類の材料が忽ち集まった。
学校は小高い丘の上に、小学校と棟つづきで建っていた。私達は早速理科教室を借りて材料をたき出し、生徒達の授業が終わるのを待った。雪は間断なく降り、窓外は白い雲ガラスのようである。「すごい雪ですね」といえば、校長先生は、「いや春の雪です。雪の中に入りません」といわれ、水上の町の花はこぶしですからこぶしを染めてください、とこぶしの見事な枝をとってこられた。かたい蕾がみっしりと枝についている。こんなに雪の深い山の中もすでに春は間近く、どの枝も芽吹きの態勢をとっている。思えば何とよい時期に訪れたことか、あちこちで煮立ちはじめた材料から春をさきがける新芽の匂いが理科教室にみちた。こぶしは香油をとるといわれるだけに刺激性のきつい匂いである。槐からもさかんに匂いが発散される。桜は果芯の香り、それらがいりまじって、樹々の胎内にさまよいこんだようである。授業の終った生徒達が待ちかねたように次々理科教室に入ってくると、一斉に匂いに驚いた様子。
恥じらいと、好奇心と嬉しさにあふれる瞳。雪やけにひかる頬、顔中ほころばせて精一杯の挨拶、私は久しくこんな子供達に出会ったことがない。私は京都から持ってきた糸を生徒たちにわたし、一緒に染めはじめた。はじめおずおずと糸を染液に漬けていた生徒も、パッと発色すると急にいきいきとした表情になる。
中学2年生といえば、植物の新芽がようやくふくらむこの頃の季節にたとえられようか、これから人間として、さまざまの体験をする寸前の、春浅い芽吹きの時期の子供達である。その中学生達と植物の熾烈な香りにつつまれて糸を染めている。いつの間にか香りは中学生から発散されるようにさえ思われて、爽やかな熱気が理科教室にあふれていた。
いよいよ桜を染めることになった。山桜の皮はつやを帯びた木肌の裏に、赤と緑がにじみ出ていて、煮き出してみると、透明な赤茶の液が出た。その液に糸をつけ、灰汁で媒染すると、上気したような桜色が染まるはずである。が、糸をつけた瞬間パッと発色したのは、濃い赤味を帯びた黄色だった。目の前で桜色の染上がることを期待していた生徒達の間に、失望に似た吐息がもれた。
私も信じられない思いだった。生徒達に何と説明してよいか戸惑った。その時、一人の女生徒が、「本当の桜はどんな色ですか」とたずねた。私はとっさに答えた。
「これが本当の桜の色です、藤原の桜の色はこれです」と事実を言う以外なかった。京都の小倉山の桜は、やわらかい桜色だった。雪深い山中でじっと春を待つ藤原の桜は、濃い黄色だった。風雪に耐えた枝は曲り、きけば花の色も濃いという。
京都にかえってすぐ、私はもう一ど嵯峨の桜を染めてみた。かたい蕾をもった古木だったが、先年のような桜色は染まらなかった。雑木の灰汁で媒染したのでうまく発色しなかったかと思い、同じ桜を灰にしてやり直したが、やはり精気ある色は、再び生まれなかった。何が原因なのか、桜にきいてみなければわからない。風土や生い立ち、桜の種別、樹齢、採集の時期等々の条件のちがい、更には、染める時の水、温度にひとの心が加ればかぎりもなく、色は微妙に変幻することを知らされた。花の咲く前の桜を染めれば、美しい桜色が出ると、単純にきめていた自分が打ちのめされるようだった
千の桜には千の色がある。自然のごく一部を垣間みただけの自分が、わかった風に話したり、書いたりしたことを恥しく思った。
その後、藤原の高野先生と生徒達から手紙が来た。あの日、木の皮や枝を煮詰めた香りはまだ理科教室にたちこめていて、厳しい自然の中で全精力をかたむけて芽吹きの準備をしていた植物の生命、香りと色をいただいてしまった自分たちは、どうあっても「植物の側の言い分」をきかなければならない。志村さんが「こちら側にそれを受けとめて生かす素地がなければ色は命を失うのです」といった言葉はそのまま教育にもあてはまると若い教師は言う。あの日私に質問した生徒は、藤原の桜が黄色だったということは自然の証明で、木が一生懸命自分を主張していたのだと思う、何でもやってみれば本当のことがわかる、勉強すれば本当のことにぶつかると思うとうれしい、と書いてよこした。
たしかに、あの日染めた樹々は全身で表明していた。こぶしは淡墨色と淡い茜色で、あの気韻をふくんだ白い花のまわりの空気のように澄んでいた。みず楢は、寡黙な山の住人のようで、使いならされたパイプのような渋い艶の茶と鼠色だった。みずぶさは、こけしの材料にするときいたが、木目のこまかい人形の肌のようなうすいクリーム色だった。もみじの赤い新枝は、茶がかった黄色と緑がかった鼠色であり、桜は小栗鼠の毛のようにやわらかい赤黄色なのに、樹皮は色をもたなかった。つよい香りの中で、私はふと、樹木の胎内にさまよいこんだような気がしたが、一人の生徒は、家にかえって「染めるとき、すごいにおいがしただよ」と言ったら、「木が寝てるからさ、だからつよいにおいをだすんだ」と父が言ったと書いてよこした。いきなり眠りからさめた樹々がおどろいて懸命に香りと色を発散したのだ。染め終った樹の枝を、温度が高い雪の中に捨てずに、土を掘って埋めてやりたいという生徒もあった。生徒達のそれぞれの反応は、ねむっていた樹々から色が匂い立ってくるようで、私をおどろかせた。
一人の少年は別れる時、まだかたい蕾の蕗のとうをくれた。それは雪の中を掘ってとってきてくれたものだった。小さいが匂いが高く、春のかたまりだった。その少年は次に美術館で出会ったとき、さらにたくさんの、ほんの少しふくらんだ蕗のとうをもってきてくれた。沢や谷をかけまわって、天然記念物の蛙をさがしてくるのもこの少年だったということだった。群馬県の美術館にみなが来てくれた時、一人々々、山の木をとってきて染めたという小さな布を持って来てくれた。白樺、桃、きはだなども加わり、春がさらに近づいたことを知った。それを織って、生徒達におくりたかった。
4月に入って、糸が届いた。
包みをほどいた時、自然はさらにたっぷり色をふくんで、つつましい姿であらわれた。蕗のとうの少年が、かちわたり(道のないところも雪でかたまって歩ける)してとってきてくれた栃、リンゴ、営林署の人にたのんでさがしてもらったみずね桜など、それらの色がひとかたまり、藤原の山中で咲いていたままのまぶしい澄んだ色だった。みずね桜は、3月訪れた時、民話のすぐれた語り部である吉野まごめさんに、「みずね桜はいい色だよ」とおしえられた、一ど染めてみたいと思っていた。やさしく気品の高い桜色であった。
一作夜、修学旅行に京都を訪れた生徒達に会いにいった。その時一人々々が私にみずね桜の枝をおみやげに手渡してくれた。私は早速、十本の小枝の皮を丁寧にはぎ、染めてみた。それ桜の精そのものだった。淡いけれど内に深く色をたたえ、底の方からかがやき出すようである。雪の藤原を訪れて2ヶ月、新緑の季節に入ろうとしている頃、私はようやく本当の桜色に出会った気がしている。
みずね桜とは、うわみず桜の地方名だという。 1982年5月

かまくら作り

かまくら量産の秘密兵器。

1、ローダーでコの字型に大きな山を作ります。

2、大きなバルーンを膨らませ、コの字の真ん中に設置。

3、その周りに、雪をかぶせていきます。投雪機で、ひたすら雪をかぶせます。

4、入口を掘ってバルーンを取り出せば、はい出来上がり!

山ぶどうワイン

民宿吉野屋さんの自家製山葡萄ジュース!大量の山葡萄に少し氷砂糖をいれただけ、混ぜものなし。ほんのり発酵しており、超ワイルドな味わい。それでも、雑味やえぐみはほとんどなし。これはうまい!でも、少量しか作れないので、貴重品です。

藤原区民スキー大会 

1月20日
藤原小中学校、第3保育園と藤原住民の合同スキー大会です。6歳から70歳代までの参加者によるアルペンとクロカン、そりレース、宝探しなど、楽しい大会でした。雪国ならではの地元のイベントです。

 

 

大寒 利根川源流の里~藤原~歳時記

1月20日 大寒
今日で正月も終わり、小正月の飾りを早朝さげる。おそくさげると秋のとりいれもおくれるといわれているからだ。
十四日の団子飾りに風が吹けば豊年の兆
二十日正月に風が吹けば凶の兆
今でも年寄りたちはこれを信じている。だんごは割れたりカチカチになっているが袋に入れて保存する。田植えのころ山に持って行くと、蛇にかまれないという。…

恵比須講
正月も長く休んだのでそろそろ恵比寿様も大黒様も働きに出るといって、恵比寿大黒の像を飾り、ご馳走の膳を供えて、一年中不自由のないように、と祈る。
「おれのむら」林義明

千匹がゆ 利根川源流の里~藤原~歳時記

1月16日 。
地獄の鬼も釜焚きを休むと言って、この日も仕事は休み。牛馬や鳥が腹をすかして鳴かぬようにと、稗、大豆、馬鈴薯などを大鍋で煮こみ、わらで舟形のつとを作り、その中に入れて門口に二個出しておき、馬や牛にもたくさん食わせる。鳥の鳴かないうちにといって、朝早くつくる。
「おれのむら」林義明 絵:松葉豊

どんど焼き ~藤原、歳時記~

1月14日 小正月、どんど焼き
小正月は百姓にとって大切な神事である。朝早く正月飾りをおろす。子どもらは神棚に供えられたみかんや柿を貰えるのが待ち遠しくて、わくわくしたものだった。今の子どもらは、みかんや干し柿をもらうのが楽しみで、指おり数えて小正月を待っている昔の子どもを想像することができるだろうか。
団子飾り
この日はいそがしい。だんごを作ってミズキの枝にさしてたくさんの神に供える。歳神様には32個、十二様には12個、蚕影(こかげ)様にはまゆ玉にして16個、他の神々様には…5個または7個、森や道端の神々には“くばりだんご”をする。くるみの木をうすく削り、くるくるとまるまったものをいっしょに供える。くるみは来る実とかけて縁起のいいものとされている。この木は1年に6尺(1.8m)以上伸びる。
厄除け、どんど焼き
14日の晩、古いお札やダルマ、正月飾りなどをすすきの束と一緒に焼く。この火にあたると風邪をひかないという。また、厄年の男女は、金やみかんをまいて拾ってもらい、厄をはらったのだ。また、この火でだんごをやき20日まで飾っておく。
「おれのむら」林義明より